細胞培養とは、動物または植物由来の細胞を、管理された適切な人工環境で増殖させることを指す。細胞培養は、細胞生物学および分子生物学で使用される主要なツールの一つであり、生化学研究(代謝研究、老化など)、細胞に対する薬物および毒性化合物の影響評価、変異および発がん性の研究など、幅広い分野で使用される優れたモデルである。
また、薬物のスクリーニングや、ワクチンなどの大規模製造にも使用される(参照)。 細胞は組織から直接採取・分離されるか、すでに確立されている細胞株または細胞種に由来する場合がある(参照)。つまり、生物細胞由来である物質は何でも製造できる技術、ということになる。
その応用の幅は動物由来原料が使用されている食品をはじめ、医療、ファッション、美容、雑貨など多岐に渡る。その中でも今回は食品業界に注目し、現在の応用事例とその可能性を考えていく。
植物肉と並んで代替肉カテゴリーを形成しているのが「培養肉」である。培養肉は肉そのものを持続的に供給する試みであり、「屠畜」の必要がなく、環境への負荷を抑えられるため、「クリーンミート」とも呼ばれている。培養肉の製造は、採取・選抜した筋幹細胞を培養液や栄養素、成長因子などを入れた培養装置(バイオリアクター)で増殖させ、筋繊維を組成した後に、それを積み重ねて筋組織を形成するプロセスが一般的となっている。
また、本技術は食肉だけではなく、魚類においても実用化に向けた研究が進んでいる。一般的に消費される動物性タンパク質の中で、魚類のみがいまだに野生からの捕獲に依存している。加えて、普段食べている魚にも、重金属・マイクロプラスチック・寄生虫混入の可能性が危険視されており、細胞培養技術によりそれらの課題解決が期待されている(参照)。
一見魅力的な培養肉・培養魚肉であるが、いくつかの問題点も挙げられる。2022年1月現在、培養肉の販売に関しては、シンガポールにおいて世界で初めて販売の認可が下り、2021年1月から「Eat Just」社の培養肉チキンナゲットの販売が開始されている(参照)。しかし、培養肉の製造には血清成分や成長因子、培養液などコスト面のハードルが高く、同時に工業化におけるエネルギー効率や二酸化炭素排出量についても配慮が必要であり、畜産とは異なる課題が残っている。
これらの問題に対して、イスラエルを拠点とする「Future Meat Technologies」社は、通常の代替タンパク関連企業が細胞素材・植物素材どちらか一方を選択している中で、細胞素材と植物素材をブレンドすることで、各社に先駆けてコストダウンを実現している。また、使用する原料について、タンパク質豊富な成長補助剤として、牛胎児血清(FBS)を使用する場合が多く、動物由来成分の使用を問題視する声がある。同社はそういった課題に対しても、血清を使用しない培養方法などの開発も進めている(Future Meat Technologies)。
「Future Meat」社のホームページより引用
培養された細胞は調理されることで、従来の食肉と遜色ない見た目に仕上がっており、植物肉よりもさらに実物に近づいている。現在、培養肉生産における環境負荷については賛否が分かれているが、もし従来の食肉と比較して環境負荷を抑え、味や栄養面、安全性でも優れた培養肉が実現すれば、新たな選択肢として消費者に受け入れられる日も遠くはないだろう。
細胞培養技術は、身近な食卓だけではなく、特別な日の食事にも影響するだろう。高級珍味であるフカヒレやフォアグラに関しても、細胞培養技術の応用が始まっている。特にこれらの食材は生産過程におけるアニマルウェルフェアや倫理的な観点から問題視されており、販売が禁止されている国も存在する。
フランス初の細胞培養肉分野のスタートアップ企業である「Gourmey」社は、現地でも親しまれているフォアグラを細胞培養により生産することを試みる。アヒルの卵の幹細胞から生産されたフォアグラは、現地でフォアグラの産地としても有名なアキテーヌ地方のミシュランシェフにも評価されており、実際に導入が検討されているそうだ。また、ニューヨークに拠点を置く「Alpha Food」社は、細胞培養によるフカヒレの生産を行なっている。両企業はそれぞれの地域で大きな市場を持つ食材を細胞培養に応用することで、現地での投資家や消費者からの高い関心を得ている。
これらの希少食品に注目するメリットは、アニマルウェルフェア以外にも挙げられる。冒頭に紹介したように、一般家庭で食される食肉・魚介類の代替製品を生産する企業にとって、一般の普及に向けて課題となるのは生産の効率化とコストダウンである(参照)。
一方、それらと比較して、フォアグラやフカヒレなどの高級食材については元々の値段が高く、細胞培養時のコストダウンのハードルが低い。この特徴に注目して、他の地域においても希少価値が高く、倫理的問題や持続可能性の問題がある食材を培養することも有用である。
「Gourmey」社のホームページより引用
微生物による物質生産を利用した発酵食品製造や酵素生産は古くから行われており、微生物自身が物質生産の工場となっている例も少なくない。この物質生産のシステムが細胞培養にも応用されつつある。
その例として、今回は乳腺の幹細胞を用いたミルク製造の例を紹介する。酪農は人類の活動による温室効果ガス総排出量の4%を占めており、同時に世界のメタンガス排出量の37%が牧畜に由来している。そこで、持続的な酪農のために代替となる生産方法が求められている現状がある(参照)。また、母親から授乳できない幼児は母乳以外のミルクパウダーミルクに頼るほかなく、母乳に含まれる高い栄養を摂取できないという課題がある。
参考記事:世界の食の持続可能性に挑戦するイスラエルのスタートアップ企業
これらの課題に対して、シンガポールに拠点を置く「TurtleTree」社は、細胞培養を応用したアニマルフリーなミルク生産を試みる。母乳内に含まれる乳腺幹細胞を培養し、栄養素や味が実際の母乳と同様になるようなミルクの開発を進めている。まず初めに健康かつ生産能力の高い細胞をソースとして選定する。選定が終わると、最も活力のある細胞を分析・選択し、必要な養分を与え細胞の成長を促す。培養した細胞は、乳腺幹細胞の外部環境を真似て作られる人工の環境に置かれ、母乳を生成する過程で見られる栄養素を含んだ混合物との配合を行う。こうして作られた細胞培養ミルクは、環境への負荷が小さく、従来のミルクよりホルモンや抗生物質の含有量を抑えることができ、健康へのメリットも考えられる。
「TurtleTree」社のホームページより引用
他に細胞培養によるミルク生産に取り組む企業には、イスラエルの「BioMilk」などが挙げられる。2022年1月現在、正式に販売が認可された例はないが、アジアのISO基準を満たすことができると考えられており、近い将来一般への普及が期待される(参照)。
参考記事:フードテックが牛フリーな乳製品を提供する未来。"Got Milk?" の再来か?
上述の通り、細胞培養はさまざまな動物由来食品の代替生産方法として研究開発が進んでいる。しかし、これらの細胞培養によって生産された食品は実際にどのような消費者の元へ届くのだろうか(一般の人も手にとるようになるのか?)。
現在、通常の方法で生産された動物由来食品を摂取している人に対して、自らの意思で選んでもらうには、味や栄養成分、抗生物質の有無や、食中毒の可能性の有無、価格など、何らかの優位性を獲得する必要があり、さらなる付加価値の提供が期待される。
ベジタリアンやヴィーガンの人にとっても、細胞培養食品に対する意見は分かれており、肉や動物性食品を食べない根本的な動機に大きく左右されると考えられる。例えば、健康のために植物由来の食事をしている人は、より健康的な食を求めて細胞培養食品を求める可能性もある。また、細胞培養食品は、ベジタリアンやヴィーガンの食事で十分な栄養摂取ができないという人にとっても需要のある存在となり得る(参照)。また、上記の人々以外に、宗教的に決められた方法で屠殺された食肉を選択している場合も、細胞培養肉がどちらに分類されるのかに関して、今後も議論を呼びそうだ。
SUNRYSEで紹介されている培養肉・培養魚肉に関するスタートアップは以下の通りである。 培養肉: Aleph Farms, Memphis Meats, Finless Foods, Mosa Meat, Future Meat Technologies
培養魚肉・海産物:Shiok Meats, BlueNalu, Meatable
本記事内写真の無断転載や利用はご遠慮ください。