GoogleとFacebook:私たちは巨大な精霊を瓶の中へ戻すことができるか?

インターネットは民間企業が運営する公共事業となった。しかし、政治家は"ビッグ・テック"を効果的に規制する方法を未だ見つけることができない。
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オーストラリアのメディア業界では戦争が勃発している。

   

政府の要請を受け、Googleは出版社へコンテンツ対価を支払うことに合意した。しかしその一方で、Facebookはプロのジャーナリストを起用しているオーストラリアのメディア企業を同社のプラットフォーム上から排除することを決定している。

政府の規制強化に対する2つの異なる反応。オーストラリア以外の国においても、同様の法律を施行することは間違いないが、未だ正式に批准される動きは見られない。すでにイギリスやEUが同様の法律を採用するという話が出ており、"世界がどう動くのか"興味深いところである。

   

しかし、このエピソードで興味深い点はGoogle及びFacebookが持つ、独裁的で巨大な力である。インターネットは公共事業のような存在でありながら、不動産、すなわちその権力は民間企業が保有している。そのうえ民間企業は自らのビジネスモデルを守るために、その権力を適切に行使することを肯定しているというのだ。それはたとえプラットフォームの構築をサポートした市民や顧客、企業に悪影響を与えるとしてもだ。

イギリスの歴史家であり思想家、政治家であるジョン・アクトンの格言に「権力は腐敗の傾向がある。絶対的権力は絶対的に腐敗する」というものがある。GoogleやFacebookの問題は、彼らが多額の現金と大きな権力を振りかざすために、格言の実践例となってしまってい、さらにはそれが真実であることを証明していることである。

オーストラリアのメディア業界で起きた問題はその一例に過ぎない。筆者個人としてはドナルド・トランプ氏を嫌ってはいたが、SNS上でアメリカの大統領を取り消すことができる現状は間違っていると思っている。

それは将来、ひどいと前例となり、間違いなく彼に投票した7500万人のアメリカ人をさらに掻き立てるだろう。

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ケンブリッジ・アナリティカの事件や、Facebookが謝罪を余儀なくされた他の事件について踏み込む必要はない。

ただ忘れてはならないのは、Googleもまたスキャンダルの公正なシェアを持っていたということである。私は「ユーザー」としてGoogleやFacebookを使用することを愛してはいるが、その一方でそれらは苦い後味を残していくのだ。そういえば、彼らのオフィスに行ったことのある人ならば皆、その空間や豪華さ、デザインが2017年に公開されたデックディストピア映画「The Circle」を彷彿とさせていることを知っているだろう。カルトとまではいかないまでも、建物の中の雰囲気は奇妙さを醸し出している。

それに加え、両社はメディアやマーケティングパートナーとパイを共有することを望んでいないため、オーストラリアでの法改正の可能性を生み出している。メディア企業が、GoogleやFacebookにイベントのスポンサーや広告費を要求した場合、「私たちはブランドを持っているため、お金を払わない。だから、参加を要求するのであれば私たちにお金を払うべきだ」と答えるだろう。

「えぇ、でもあなたたちは自らのブランドが人々から嫌われ始めていることに気づいてますよね?」と言いたくなるだろう。そしてもし、あなたが勇気を出し、GoogleやFacebookのイベントへ参加したなら、熱烈なPR担当者の腕をすぐに感じることになるだろう。

彼らは避けねばならない話題と、聴衆からの質問は厳禁であることを丁寧に教えてくれる。闇の芸術であるステージマネジメントは、その最たるものである。

そしてGoogleとFacebookは、毎年数十億ドルにも及ぶプログラマティック広告詐欺の責任者ではないが、それを可能としてしまうエコシステムの一部であることは間違いない。虚栄心のあるメトリクスは、ビジネスと社会の両方の観点からみても毒のようなものである。

本来の意味からそれた誤報、荒らし、自己陶酔的なイメージの強迫観念、行動経済学のテクニックなども、私たち全員に対し、デバイス中毒を引き起こすドーパミンの快楽を提供している。

   

嫌なことはたくさん存在する。ただ、その一方で彼らの製品は何十億人もの人々や企業に恩恵を与える素晴らしいものであるというパラドックスも存在する。検索エンジンは気になった事柄について、その知識を即座に与えてくれる親切な存在である。SNSでは容易に世界中の友人、家族、グループ、企業とつながることができる。

もちろんそのすべてが無料で享受できるとは期待をしてはならない。支払うべき対価はもちろん存在する。公平に言えば、生活に便利さや学び、喜びを加えるために、私たちは皆、製品の一部になりたいとさえ思っていることは明らかである。

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実のところ、GoogleやFacebookがなければ世界は貧しくなっていただろう。しかし、現実問題、社会に長期的な影響を与えずにそれらを放置しておくことはできないのである。政治家はどうにかして先手を打ち、大きな存在が自ら政治に参加する前に、ビッグ・テックの規制を開始しなければならない。

ビル・ゲイツとジェフ・ベゾスがホワイトハウスを狙っていると疑う人がいるだろうか?その疑いが生まれた時点でもう手遅れとなっているだろう。そして、大きな精霊を瓶の中へ戻すことは不可能となっているだろう。

政治的な権力者には、技術的な専門知識がないため、それらの規制が困難であることは間違いない。しかし、他に何もないにしろ、その善し悪しに関わらずオーストラリアでの事件は、少なくともある種の支配権を主張することが可能であることを証明した。だからGoogleとFacebookの最悪の要素が、良いものをすべて凌駕するような世界への夢遊病はやめにすべきだ。シリコンバレーは別として、誰もそのようなことは望んでいない。

  

  

翻訳元:https://e27.co/google-and-facebook-can-we-put-the-genie-back-in-the-bottle-20210219/

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執筆者
岩切優 / Yu Iwakiri
Media Writer
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